熱ものに懲りて・・・

 3月11日の大震災以降、脱原発の議論が活発である。定期点検中の原発は再稼働に向けてのハードルが極端に高くなってしまった観がある。戦後エネルギが石炭から石油へ、そして原発へと変遷してきた。
戦後の物作り産業の安い電力供給は、ある意味でこの原発が支えてきたともいえる。しかし、このような大事故が天災によって引き起こされたとはいえ、その後の原発システムが制御出来ない状態に陥いったことは、人災である事は明らかである。今回の大津波が想定外であったと言い訳する電力会社や推進役であった経済産業省の安全保安院は、技術者倫理に照らして許されないミスを犯した。

 原発が一度大事故を起こすと、取り返しがつかない事態に遭遇することは当然想定できたはずである。
その安全性についてのストレステストに合格しなければ運転再開を認めない事はよしとしても、今まで何を基準に安全点検を行ってきたか、はなはだ疑問である。今さら何をチエックしようというのだろうか?
 原発是非論はさておき、近年の都市化によるヒートアイランド現象は、35°を超える猛暑日が連日続き、その中で、一律15%の電力節減政策を押し進めている。このような事態だからこそ、大口需要者の電力料金が逆進性(大量に使用するほど割安となる)となっていることをまず改めるべきであるのに、経済優先、国民軽視の政策は、大口献金者向けの政治手法であることを国民がすでに見抜いていることを知るべきである。
 横浜の知人が、この暑さにクーラーを付けていると近所から批判されるような状況だという。熱中症で体調を崩すお年寄りが多いと聞く。戦後の電力が十分供給されず、しょっちゅう停電があった時代を経験する者には、電力節減は至上命令と受け取ってしまうのである。
 デジタル時代とはいえ、原発を再開するか、再開しないか1か0かではない。0.5もあるのである。また、自然エネルギへの変換も短時間で転換することは困難であることは論をまたない。転換のためにある期間併用も必要な事を知るべきである。また電力料金も原発事故の賠償のために上乗せしようとする手法は全く国民軽視のやり方であることを、主権者皆が見抜く必要がある。
「熱ものに懲りてナマスを吹く」のたとえのように、政治家にはあまりにも知恵がない。
(T.M 記)

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