英語を学んで思うこと

 英語に自分の夢を重ね、中学、高校と一生懸命英語を勉強をしてきた。大学でも英文科に進んだ。変形生成文法のメカニズムに感動し、「ロミオとジュリエット」の
 「学校に行くときは、恋人と別れるときのように悲しく、学校から帰るときは、恋人と会うときのように嬉しい」などの華麗な言い回しや、
Parting is such a sweet sorrow that I shall say Good Night to you …
とこの作品における格調高い英文に感動したものだった。また、卒論では E. Bronte のWuthering Heights 「嵐が丘」をテーマとし、家族も寝静まった深夜、「この世にこの世界を理解する者は我一人」とE. Bronteの流麗な英文に酔いしれたものだった。それは独りよがりで浅薄な世界ではあったかも知れないが、最後までこの小説に共感し、読み通した自分に対する確かな手ごたえであり、自分に対する自信でもあったろうと思われる。それ故、英語教師として、また、今予備校の講師として英語を学ぶ者として、深く英文を理解するという方向に行きがちであったろうと反省することしきりである。
 しかし、今年、本校に新しく英語教師として勤務された女史は、私とはまったく正反対のproduce することに意を用い、生徒をぐいぐいと引張っていき、生徒に英語を話す楽しさを解からせていっているようである。これは自分にとって一種の驚きであった。
 これからの英語は、読む楽しさばかりではなく、自由に自分の気持ちを伝え、人とのコミュニケーションを楽しむための手段でもあるという形もあるべきだと思う。看護師はこれからますますコミュニケーション能力も求められていくだろうということを考えると、自由に思いのままに英語を楽しめる看護師を夢見たいものである。
(E.K.)

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